Kanoblog

小林由依ちゃんが大好き⸜❤︎⸝‍

いつか終わりが来るもの、今ゴールが見えるもの、私が見ている先は現実には見えないもの*

 

 

 

 

 

 

 

ブログを開いていただきありがとうございます

 

 

 

 

 

 

かの、って本名とは何の脈略もないから最近は名乗ることに少し躊躇しております。

 

かと言って変える気も今はないので、そのまま暫くはかのさんでいようと思います。

プライベートとはまた別の人間のような気がしてそれはそれでいいのでは無いかとも思っているんだけどね

 

 

 

 

 

こんにちは、かのです( ¨̮ )

 

 

 

 

小坂流加さんの『余命10年』を読みました。

少し前に映画化されていた作品ですね、何となくタイトルに興味を持ったので見に行きたかったのですがスケジュールがつかず断念し、それきりとなってしまっていました。

 

少し話は逸れますが、私は今まで本は実際にそのものを手にして読みたいと思っていたのです。書店に出向いて、気になった本を買うようにしていました。でもね、今回この本と出会ったきっかけはAmazonさんの提供するサービスであるKindleでした。

勿論タイトルは知っていたけれど、その内容がどんな内容かなんて全く知らない状態で

『余命10年』を見つけました。

私はその瞬間、人生で初めて電子媒体を使って本を読むことを知りました。そして、人生で初めて電子媒体で本を読み始めました。

 

電子媒体で本を読むことは思ったよりも苦ではなく、むしろいつも携帯を持っている私からしたらいつでもどこでも読めるという良さがありました。ただ、やっぱり紙が恋しいなという気はしたのですが…。

 

 

なんか電子媒体っていうと堅苦しいね、iPhoneとかiPadを使って読んでおりました。

 

 

 

 

 

本題に戻ります。

『余命10年』は23章に分かれていました。読みやすかったな、というのが率直な感想です。内容はひとまず置いておいて。

内容に関する率直な感想としては、読み終わって1番最初に感じたのは総じて"儚いなあ…"と思いました。

今私が生きてるこの時っていうのは、限りがないし、終わろうと思えばいつでも終われる、でもそれは非現実的であって。でもこの小説の登場人物である茉莉(オタクのわたしは『まりぃ』と読みましたが、この本では『まつり』という読みでした)には残された人生という時間が10年しかない、限りのあるものなのです。

 

私は限られた時間の中での人生を送ったことがないから、読んでいて不思議な気持ちになりました。

もし私が10年後の今日に死ぬとしたら、なにをするだろうか、なんて考えたことなかったから。

 

茉莉は限られた10年間を有意義に過ごしたと思うのです。趣味に没頭しいろんなひとと出会ったり、旧友と再会してそれがはたまた恋愛にまで発展したり。

限られた時間の中生きるっていうのも、終わりが分からない、果てしない中生きるよりもいいんじゃないかな、後悔のない生き様になるんじゃないかなって幾度と感じました。

やっぱり人生って難しいね。

 

 

この小説は章末に茉莉の想いが書かれた詩のようなものがありました。恋心を抱いている和人への思いだったり、彼女が最も大切に思っていた家族への思いだったり。

何度も何度もその部分で心を打たれました。

 

 

 

この本を読んで私が感じたことは本当にたくさんありました。

特に忘れられないフレーズがふたつあります。

 

『出逢わなければよかった。だけどもう、出逢ってしまった。』

 

 

これはわたしも感じたことのある感情だなと。

茉莉が恋心を持ってしまったことを悔やむシーン(だったと思います)で、和人へ宛てた茉莉の思いですね。出逢わなければ何とも思わなかったのに出逢ってしまったばっかりにまたひとつ悩むことが増えてしまう、そんな経験が私にもあったので共感出来ることのひとつでした。

 

 

 

 

 

『誰かと同じじゃイヤダなんていつか言っていたけれど、今はみんなと同じじゃなきゃ不安でたまらない。違うならば強くなりたい。みんなと違う道を堂々と歩ける人になりたい。

強くなりたい。
強くなりたい。
心が固まっちゃうくらい、強くなりたい。』

 

 

仕事もプライベートも、病気のせいで上手くいかなくなってしまった茉莉が自己嫌悪に陥り、それと戦っていくシーンです。(時系列的には圧倒的にこちらの方が先ですが、印象に残った順番となるとこちらが後者になります。個人的な感想ではありますが…。)

病気になってしまい、先が長くないことも分かっているという中で、何も上手くいかなくなってしまったら、それがもし私だったら私は生きる希望さえ失ってしまうと思います。それでも強い気持ちを持っていた茉莉に感銘を受けました。

 

なんだろうね、わたしは元々自己肯定感が低い人間であるってことは自覚しているから強くなりたいって思うことはもちろんあるし、

勇気を持てればもっと生きやすい世の中になるんじゃないかな、とか、

もっと違った世界が見えてくるんじゃないかなって思うことももちろんあるんだけど

それを逆手に取れば、それがわたしの個性とも言えるし、そうとなると無くしてしまうのはちょっと違うのかな…生きやすいだけが全てじゃないもんな、苦労して悩んで乗り越えていくからいいんじゃないかなっていう思考回路になっていくから結局正解が見い出せないのがわたし。

(主はこのことを『ゲシュタルト崩壊』と呼びます)

 

型にはまった人生を生きるっていうのは違うと思うし面白くもないけど

不謹慎かもしれないけど

余命宣告された人生も生きてみたいな、と思いました。ざっくりね。

多分私は余命宣告されてからの方が後悔しない人生を送れるような気がします。

 

じゃあ一旦自分で余命を決めてみる…?そういう問題ではないか、例えば余命あと5年です!って言われたら私はなにするんだろう…。

多分今ほど社畜にはならないだろうな…。うん…。

 

 

 

美味しいものたくさん食べて、いっぱい楽しいことして、っていうのが凄く幸せなことなんだなって、でもそれに気づくのって難しいことだよなぁっていう。

私はネガティブ人間で、しんどい、つらい、しにたい感情が多い人だから、病気で生きれない人にわたしの人生あげたいなぁとか思ったこと何回もあるけど、

元気で生きられるって恵まれたことだよね…

今ある程度メンタル保ってるから言えることだけど…自分が切羽詰まってたら言えないだろうから言えるうちに言っておこう。

 

 

 

 

久しぶりに本を読めたから(電子書籍で本を読むことに時間を割くのは案外容易だとわかりました)

感想を…と思ったら長く書きすぎてしまいました。

 

 

 

 

今回はこのくらいにしておこうと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#67

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生きることってほんとに難しい。

どうせなら理想をもって生きたいし、理想は持った以上現実にしたいし。

でも夢を叶えるのと同じで理想を現実にまで持っていくのは難しいことだよなぁって改めて最近感じるようになりました。

小学生の頃から変わらない私の理想像がひとつだけあって、未だにそれは叶えたい、と思っているから今頑張っているけど

果たしてそれがもし叶ったとして、叶ったあとの私は本当にしあわせなのかな、って思うようになりました。

 

理想が叶えば必ずしも幸せになれるとも限らないし、理想が叶わなくても幸せにはなれると思うし…。

 

幸せにも理想にも定義も決まりもないからやっぱり生きるってのは難しいなと感じてしまいました( .. )

 

でもね、強くなろうとか無理に思わなくてもマイペースにゆっくり過ごすってのも悪くないなって思い始めたのです。

多分すんごい矛盾したこと言ってると思うんだけど。

妥協ってある程度必要なことだし、全てが上手くいくなんてことはないと思ってるから(全て上手くいってる、苦労なんてない!って思ってる人がいるのならば是非1度苦労というものを味わって頂きたいものではある)

一旦全部飲み込んだうえで、自己処理、まぁいいかって思えるようになれたらいいなぁ。

理想が叶わなくてもまぁいっか、思い通りにいかなくても、ね。

 

 

 

 

 

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もうクリスマスだよ~寒いよ~

風邪ひかないように、気をつけよ~

最近寒暖差アレルギーで鼻水が止まらない( .. )

 

 

また書きすぎたよ!おしまいっ!